晩鐘の音風 三井寺










天台寺門宗総本山園城寺 三井寺
三井の晩鐘 残したい日本の音風景100選
比叡山延暦寺を総本山とする天台宗が思想対立から円仁の山門派と円珍の寺門派に分裂すると三井寺(園城寺)は寺門派の総本山となりました 境内に井泉が湧き 天智 天武 持統天皇の産湯に使われたことから「御井の寺」と言われ その後 円珍が三部潅頂の儀式に使用したことから三井寺になったといわれています 井泉は閼伽井屋の内部にみられ 仏に供える静水で三井の霊泉と呼ばれています 本尊は弥勒菩薩で秘仏となっているため見ることは出来ません
三井寺の秘仏 黄不動は日本三不動「青不動(京都青蓮院蔵)・赤不動(和歌山高野山明王院蔵)」の一つで また三井の晩鐘も日本三名鐘「神護寺の鐘」「平等院の鐘」「三井寺の鐘」の一つとなっており 近江八景にも選定されています
現在鐘楼に吊されている鐘は二代目になり冥加料を納めると誰でも撞くことができます 三井寺の数ある伝説のひとつから 毎日決まった時刻に鐘を鳴らして欲しいと願う龍神の為に何百年も音風を響かせ続けています
三井寺は
西国三十三所の第十四番札所で観音堂の御本尊である如意輪観音菩薩が安置されています
2015年4月24日「琵琶湖とその水辺景観 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定されています








春になるとソメイヨシノ ヤマザクラなど約1300本の桜が咲き乱れることでも知られています

三井寺(園城寺)へ行ってみた
大門前の桜が満面の笑みでお出迎え そして凛々しい山門が歓迎してくれました 広い境内に距離を置いてお堂が建っています 度重なる焼き討から密集しないように建てたのでしょうか 当時に思いを重ね一歩一歩拝観していきましょう

本堂である金堂は境内の中心に構えひときわ大きく立派な建物です 秀吉の正室北政所が再建したものが今も残っていることに驚きました

天智天皇らが産湯に用いたといわれる閼伽井屋では霊泉がプクプクと湧き出る神秘的な音が風に乗って金堂に響いています
鐘楼では三井の晩鐘を撞くことができます その音風は波風たてずに湖面に響き竜神に届いていると感じました 残したい日本の音風景百選に選ばれています
霊鐘堂には弁慶の引き摺り鐘と弁慶の汁鍋があり 鐘には確かに引き摺られたような擦り傷がついています(下の歴史参照)弁慶は和歌山の田辺出身で「帰ろう」のことを「イノー」と言います 実際の出来事であったのではと浪漫と想像が膨らんできました
まだまだ広いです 満開の桜が春ですよ暖かくなりますよと声をかけてくれます 桜のほかにも あせび・つばき・しゃくなげ・すいせんと様々な花が可憐に咲き誇り春を告げています

春風を感じて唐院へ 唐院には大師堂・潅頂堂・三重塔・四脚門・探題灯篭など悠々たる文化財が建っています 潅頂堂では僧侶の方々か お経が聞こえてきました
そして 西国三十三所の第十四番札所観音堂へ 順路には微妙寺・毘沙門堂があります 丁度疲れてきたころに 名物弁慶の力餅のお店で力餅を頂き ちょっといっぷく すごく美味しい この力餅は200年以上も続いているとのことです

幾度の苦難を乗り越えてきた三井寺 立派な樹々も多くの草花も寺門派の人々と同様にたくましく生きてきたのだろうと感じました
桜も有名な三井寺 観音堂から観る琵琶湖に浮かぶ桜も良し琵琶湖疏水の桜とともに見上げる三井寺の桜も絶景です 今の三井寺には穏やかな音風が吹いていました


歴史
891年円珍入滅 山門派・寺門派の対立が激化しました「山門寺門の抗争」と呼んでいます 両派が僧兵を抱えることで武力抗争が頻発し延暦寺側の攻撃により 三井寺は数十回にわたって焼き討ちを受けました


1595年には豊臣秀吉によって闕所の命が下り 堂塔を破壊 寺領を没収されて廃寺同然となりましたが 秀吉は死の直前になって三井寺の再興を許可 没後北政所らにより再興されるなど数々の苦難を乗り越えてきました そのことからも三井寺は「不死鳥の寺」と言われています
幾度の災難に見舞われたにも関わらず 数多くの秘仏や重宝も残されています

三井寺には数々の伝説があり そのひとつとして「弁慶の引き摺り鐘」があります 山門派との争いで弁慶がこの鐘を奪って比叡山へ引き摺りあげて撞いてみると「イノー イノー」と帰りたいと響いたので「そんなに三井寺に帰りたいのか」と怒った弁慶が谷底へこの鐘を投げ捨ててしまい鐘に残っている傷はその時についたものだといわれています この鐘は現在 境内にある「霊鐘堂」に弁慶鐘という名前で置かれています









戦国時代(三井寺に深く関わった三武将)
信長は比叡山の領地を横領したことがきっかけで比叡山延暦寺と対立していた頃 延暦寺は姉川の戦いに敗れた浅井・朝倉の兵をかくまったことから 信長は延暦寺に浅井・朝倉家と手を切って信長の味方をすれば領地は返す 従わないなら焼き討ちにするといい 延暦寺は拒否したことから 信長は三井寺と延暦寺との争いに乗じ三井寺の山岡景猶の屋敷に陣を置き1571年比叡山焼き討ちを実行しました

秀吉は比叡山焼き討ちから13年の時を経て1584年僧兵を置かないことを条件に延暦寺再建の許可と寄付をします 1590年信長の代わりに天下統一を成し遂げた秀吉と良好な関係を築いていると思われていた三井寺が1595年に突如として秀吉の怒りに触れてしまい寺領取り上げ取壊しを命じられます 秀吉が何故怒ったのかはわかりません これが世にいう「文禄の闕所」です

そして1598年8月17日秀吉が亡くなる前日 秀吉は三井寺の闕所を解きます 三井寺の祟りを恐れてたため再興許可が下りたのではといわれています 後に三井寺長吏・道澄と秀吉の正室北政所らが中心となり復興事業に奮闘しました

徳川家康は関ケ原の合戦後の処理を大津城にて有力商人らと行ったともいわれています 家康は秀吉によって伏見城に移築されていた三重塔 大門(仁王門)を三井寺に寄進しており その後の徳川歴代将軍は寺領を安堵(土地の所有権・領有権・知行権などを幕府・領主が公認したこと)するといった朱印状を発しています 








歴史
~ 672年 壬申の乱の頃 円城寺建立
~ 866年 延暦寺別院となる
~ 868年 円珍 第5代天台座主となる
~ 981年 円仁・円珍 山門と寺門の確執
~ 993年 円珍門徒下山
     比叡山千手院安置の智証大師像を三井寺唐坊に移す
~1081年 山門派衆によって焼かれる
~1084年 金堂建つ ~ 焼失が繰り返される
~1163年 山門派衆によって焼かれる
~ 焼失が繰り返される
~1215年 将軍源実朝 三井寺を復興
~ 焼失が繰り返される
~1354年 足利尊氏 金堂など再建
~1432年 三井寺如意輪堂建
~1595年 豊臣秀吉 三井寺に闕所の命を下し堂塔を破壊寺領を没収する
~1599年 北政所により金堂再建 諸堂の復興
~1601年 徳川家康 伏見城内の楼門 三重塔を寄進 道阿弥 光浄院客殿を再建
~1941年 天台三派(山門、寺門、盛門)合同し、天台宗として発足
~1946年 宗教法人令により天台寺門宗設立

国宝・重要文化財
(建造物)
(国宝)
  金堂/
  新羅善神堂/
  光浄院客殿/
  勧学院客殿/
(重要文化財)
  大門(仁王門)/
  釈迦堂/
  閼伽井屋(三井の霊泉)/
  一切経蔵/
  鐘楼(三井の晩鐘)/
  唐院大師堂/
  唐院潅頂堂/
  三重塔/
  毘沙門堂/
(指定文化財等)
  観音堂(県指定・建造物)/
  百体堂(県指定・建造物)/
  観月舞台(県指定・建造物)/
  永観寺(県指定・建造物)/
  護法善神堂(市指定・建造物)/
  唐院探題灯篭(建造物)/
(工芸)
(重要文化財)
  弁慶鐘/
  朝鮮鐘/
  孔雀文磬/
  園城寺尺/
(指定文化財等)
  三井の晩鐘(県指定・工芸)/
  密教仏具(工芸)/園城寺古瓦(工芸)/
(秘仏)
(国宝)
  金色不動明王画像(黄不動尊)/新羅明神坐像/
  智証大師坐像(御骨大師)/
  智証大師坐像(中尊大師)/五部心観 二巻/
(重要文化財)
  不動明王立像(黄不動)/如意輪観音坐像/
(仏像)
(重要文化財)
  十一面観音立像/千手観音立像/不動明王坐像/
  訶梨帝母倚像/護法善神立像/吉祥天立像/
  愛染明王坐像/
(指定文化財等)
  智証大師坐像(仏像)/大日如来坐像(仏像)/
(文書典籍)
(国宝)
  円珍俗姓系図/伝燈大法師位位記/制誡文/
  尚書省司門過所/福州温州台州求法目録/
  円珍請伝法公験奏状案/感夢記/
  開元寺求法目録/青竜寺求法目録/
  国清寺外諸寺求法惣目録/国清寺求法目録/
(重要文化財)
  大蔵経/園城寺境内古図/
(絵画)
(重要文化財)
  新羅明神像/尊星王像/不動明王二童子像/
  不動明王八大童子像/黄金剛童子像/尊勝曼荼羅図/
  両界曼荼羅図/多聞天像/天台大師像/
  勧学院客殿襖絵/光浄院客殿床貼付絵/
  八大仏頂曼荼羅図 /仏涅槃図/
(指定文化財等)
  法明院襖絵 山水図(市指定・絵画)/
  法明院客殿襖絵 幽居図(市指定・絵画)/
など数々の重宝が残っています









詳細は 三井寺HP
 http://www.shiga-miidera.or.jp/index.htm
参照
会員 Y.K.様 投稿
2021年04月07日