時の風 井伊家彦根藩

井伊直政
豊臣秀吉没後の天下分け目の合戦「関ケ原の戦い」で功績を上げた井伊直政は徳川家康の四天王・精鋭部隊「井伊の赤備え」として最強の軍団と称えられました また井伊家は政治にも長けており「開国の元勲」と評価され徳川幕府の功労者と称賛されましたが 戦いによる怪我で1602年に佐和山城で亡くなりました

家督を継いだ井伊直継は大阪冬の陣に参陣できず 弟の井伊直孝が出陣して功績を上げたことから井伊家の当主となり徳川家光の後見役として家光・家綱を補佐し重要な役目を担いました また井伊家は徳川幕府の中枢として井伊直興・直幸・直亮・直弼の4人が大老職に就きました 井伊家が徳川幕府の重臣として260年一度の国替えもなく譜代大名の筆頭として務めたものです

井伊家が治めた彦根藩彦根城は 現在の滋賀県彦根市金亀町にあり 石田三成の佐和山城の西方琵琶湖岸に建てられました 当時の東山道(中山道)・北陸道(北国街道)・琵琶湖水運と要衝の地であり徳川最大の軍事拠点として機内・西国勢力への押さえの役割を果たしました

 1858年江戸時代末期 井伊家13代当主井伊直弼が大老に就きます 関ケ原の戦いから260年黒船来航により諸外国に目を向けた井伊直弼 それに反する一派 真の目的は次期将軍の座争いであったのか 井伊直弼が行った安政の大獄と言われる反勢力への弾圧で反発を招いたのか1860年3月井伊直弼が襲撃され死亡しました桜田門外の変です 井伊直弼が死亡したことにより反勢力が幕府を担い井伊家彦根藩は領地を減らされました 彦根藩は禁門の変・天誅組の変・天狗党の乱・長州征討と幕府に尽力したが報われなかったことからか井伊直弼の名誉を回復できるのは勤王と考え1867年大政奉還後彦根藩は幕府側ではなく新政府を支持し戊辰戦争にて戦功を上げ井伊家は華族(伯爵)となりました また16代当主井伊直愛は9期にわたって彦根市長を務めました 時の人井伊家そして一期一会を愛した井伊直弼 時の風を感じる

彦根城へ行ってみた
天下人に仕え 時代を超えてきた井伊家彦根藩 時の風を感じに いざ彦根城へ

彦根城(国宝)
相当数の仕掛けのある城と言う印象を持って表門山道を登っていきました 一段一段の歩幅はバラバラでとても駆け上がりにくい 天秤櫓の手前に廊下橋があり別名落とし橋と言われ襲撃時には橋を壊す様です この橋を簡単に落とせるのかと思うくらい幅が広くしっかりした造りとなっています


彦根城の登り石垣は本来の山上と山麓の曲輪を繋ぐためではなく敵の斜面移動や侵入を防ぐために設けられ その数は5カ所にもわたります 天秤櫓は長浜城から移築したもので橋を中心に左右対称に造られ櫓の窓枠の仕切はひし形になっており角度をつけて敵を銃撃できる様になってます ペンを差し込み可動域を確かめてみると・・180度問題なく狙える!!と感じました とても恐ろしい!!

進んでいくと鐘の丸より太鼓丸に移され日本の音風景百選に選ばれている「時報鐘」 当時は朝6時から3時間おきに1日5回城下に時を知らせていたもので「お山の鐘」として親しまれていたそうですが残念ながら音色を聴くことはできませんでした 音の風を聞いてみたかったです


太鼓門櫓を通り抜けると天守に到着します 表門山道から天守までの道のりはさほど複雑ではなく距離も長く感じませんでしたが仕掛けにより進むことができないように築城されたのではと感じました 天守は大津城を移築して建てられました 展示物はなくとても簡素な印象ですがここにも矢狭間や鉄砲狭間に隠し部屋 急勾配の階段など完璧な守りの姿勢を感じます 恐ろしい城と言われた由縁を感じました

しかし彦根城は軍事拠点にも関わらず主な機能は政治の舞台や年貢米の保管場となり天守や櫓は倉庫等として使う以外には使い道はなかったとされています 戦国時代のような戦もなくなり民は平和な時代を望んだのでしょう 江戸時代徳川幕府の下260年にも及ぶ天下泰平な世が構築されました その政治の中心的な役割を担ってきた井伊家の当主 使命感というか運命の風を感じます      

天守閣からは琵琶湖・城下町や佐和山城跡が一望できます 300年もの歴史の中で井伊家の人々は 時の人井伊直政の風をどのような気持ちで受けていたのであろうか 琵琶湖の風は今も吹き続けています



彦根城は
琵琶湖八景「月明 彦根の古城」月明かりに浮かび上がる壮麗な彦根城として風景評価されている他 彦根八景「四季のいろどり 彦根城」にも選定されています

月明かりに浮かび上がる古城彦根城は人々に歴史の重みと時の風を感じさせてくれています

国宝・文化財としては
佐和口多聞櫓・・重要文化財
馬屋・・・・・・重要文化財
天秤櫓・・・・・重要文化財
太鼓門櫓・・・・重要文化財
天守・・・・・・国宝
西の丸三重櫓・・重要文化財 
となっています
天守が残っているお城は 弘前 松本 丸岡 犬山 彦根 姫路 備中松山 松江 丸亀 松山 宇和島 高知の12城 松本 犬山 彦根 姫路 松江 の5城の天主が国宝となっています

歴史
1582年   信長死亡
1582年   光秀死亡1595年   佐和山城(城主石田光成)
1598年   秀吉死亡
※井伊家
1600年   関ケ原の戦い「井伊の赤備え」
1602年   井伊直政没(初代井伊家当主) 
1606年   佐和山城廃城
1614年   大坂冬の陣出陣(井伊直孝 井伊家2代)
1616年   徳川家康駿府城にて没
1697年   井伊直興大老に就く
1850年   井伊直弼藩主
1853年   ペリー来航
1858年4月 井伊直弼大老に就く(井伊家13代)
1858年6月 日米修好通商条約調印?
1858年8月 戊午の密勅(井伊直弼と対立する水戸藩へ)
1858-1859 安政の大獄(幕府反勢力を処罰)
1860年3月 桜田門外の変(大老井伊直弼桜田門外で襲撃され死亡)
1867年   大政奉還
1868年   戊辰戦争(明治2年)
1871年   廃藩置県
1884年   井伊家は華族(伯爵)となる

詳細は 彦根城博物館 https://hikone-castle-museum.jp/ 参照
会員 K.I.様投稿
2021年01月01日