天下統一の風  安土城

信長の城
天気は快晴 心地よい秋晴れで少し肌寒く感じられた
信長は如何なる風を求めて安土に城を築いたのだろう 安土城跡へ行ってみた

滋賀県近江八幡市安土町にある安土山(標高199m)に築いた平山城で当時は安土山の西に「西の湖」北に「弁天内湖」東には「伊庭内湖」と三湖が取り囲んでいました 城へは南の大手門から幅10m直線で180mの大手道へ それはそれは堂々たるもので天にも昇るような大パノラマが広がっており 信長の風を感じさせてくれます


大手道沿いには羽柴秀吉・前田利家・徳川家康・織田信忠らの屋敷が立ち並び 錚々たる面々が出迎えてくれます
大手道を登っていくにつれそこから眺める素晴らしい田園風景が心を和ませてくれます
大手道を登り切ると天主までは曲がりくねっていますが天下統一を確信した信長は大手道を天主まで一直線で結び 天にそびえる己を知らしめたかったのではなかろうかと感じさせられます
当時の築城から見ると守りの弱い天主と言われていますが 信長の心中はもう守る必要がなかったのではないでしょうか 天主へ上がってみると南に近江八幡の町が一望でき北には内湖に射す光 そしてびわ湖からは戦国の世を忘れさせてくれる風が髪をなびかせ天下布武を感じ得る場であったのではないでしょうか


当時は山頂にそびえ立つ地上6階建ての天主閣があり三方を湖に囲まれていたことから遠くの民から見る信長の存在をより一層大きく感じさせていたのではないでしょうか

信長が愛した城安土城は完成まで三年完成から僅か三年で焼失



信長は天下統一を確信しこの安土に今までに無い城を築き上げたことで 安堵 油断からか まさか家臣である光秀の謀反により本能寺で討たれるとは想像もつかなかったことでしょう
所説は色々あり事実も色々解釈されていますが光秀に討たれたことは事実 安土の風は信長に吹かなかったのか 現在安土城は国指定の特別史跡として信長の風を吹かせ続けています

信長の風を感じに安土城へ行かれてみては如何でしょう
信長の雲が出迎えてくれるかも!!

安土城 (1576年築城 1582年完成)
この城は比叡山延暦寺の石垣を積み上げた琵琶湖西岸穴太の石工集団「穴太衆」を召し抱え 石垣を取り入れた城を最初に築かせたそうです 信長が穴太衆を起用したことにより各大名たちは築城に際して「穴太衆」を求めるようになり穴太衆は「織田―豊臣―徳川」と時代と共に庇護され「但馬竹田城」「姫路城」「伊賀上野城」「大阪城」「名古屋城」「江戸城」の石垣にも穴太衆の手が入っているのことです

信長は天下統一の象徴として築城地下1階地上6階の6階建ての天主で外観は階層ごとに壁色が違い黒漆塗りの窓に白壁の層や 赤色塗りの層 青色塗りの層と階層によって塗り分けられ最上階は金色を配していたそうです 日本で初めて高層建築が石垣の上に建ったのも安土城とのことです



また大群が一気に城の主要部に向けて駆け上がれるような大手道が造られたことからも戦うための城ではなく見せるための城として築城 また派手好きの信長は相撲大会を開いたり天主を提灯でライトアップしたり正月には本丸御殿を見物させ自ら見物料を受け取ったりもしていたとのことです
当時は相当かぶいていたと思われたことでしょう

総見寺は安土城築城に伴って織田信長みずから菩提寺として建立した寺で1854年火災により本堂などの大半の伽藍を焼失 残ったものは二王門と三重塔だけだそうです




織田信長
1534年05月 織田信秀の嫡男として勝幡城で生まれ 那古野城で育つ幼名「吉法師」
~1546年00月 元服「織田三郎信長」
~1547年00月 初陣
~1548年00月 齋藤道三の娘(濃姫・帰蝶)と結婚
~1552年03月 織田信秀病死 信長家督を継ぐ 上総介を名乗る
~1555年04月 清州城の織田信友を討ち 清州城主となる
~1556年00月 安祥城の兄織田信広を追放
~1559年00月 岩倉城の織田信賢を攻め尾張国を統一 
~1560年05月 東海の雄 今川義元を討つ「桶狭間の戦い」
~1561年11月 末森城の弟織田信行を謀殺
~1562年01月 松平元康(徳川家康)と同盟
~1563年06月 清須城から小牧山城へ居城を移す
~1565年11月 養女を武田勝頼に嫁がせる
~1567年05月 娘(五徳)松平信康(徳川家康の嫡男)に嫁ぐ
~1567年08月 美濃稲葉山城攻め落とす 岐阜に改め居城
~1567年11月 天下布武の印を使用
~1568年02月 伊勢の神戸・長野を下す 三男信孝を神戸具盛の嗣子(跡取り)にする
~1568年09月 足利義昭と美濃・尾張・伊勢・三河の軍勢を率いて上洛
~1568年10月 将軍足利義昭より推挙された副将軍を断る
~1569年04月 ルイス・フロイスに布教を許す
~1569年08月 北伊勢へ出陣 北畠氏を攻略
~1569年10月 足利義昭に伊勢平定を報告
~1570年03月 馬蹄形天下布武印の使用
~1570年04月 越前敦賀に出陣 手筒山城・金ケ崎城を陥落 浅井長政の謀反で帰京
~1570年05月 千草山中で六角氏の杉谷善住坊に狙われる
~1570年06月 六角氏討伐 柴田勝家・佐久間信盛出陣 
~1570年06月 姉川の合戦 浅井・朝倉と戦
~1570年07月 越前へ出陣
~1570年08月 三好三人衆討伐のため摂津へ出陣
~1570年09月 石山本願寺へ出陣
~1570年09月 浅井・朝倉 近江の宇佐山城攻め城主織田信治・森可成が討たれる
~1570年09月 比叡山
~1570年09月 近江へ出陣
~1570年09月 正親町天皇の勅命 浅井・朝倉と和睦
~1571年01月 木下秀吉 姉川封鎖
~1571年07月 北近江に出陣
~1571年09月 比叡山延暦寺を焼討
~1571年09月 明智光秀 坂本城主に
~1572年00月 反信長 本願寺 朝倉・浅井 松永・三好 武田信玄が形成される
~1572年12月 徳川・織田軍三方ヶ原の戦いで武田軍に敗れる
~1573年02月 足利義昭が織田信長に敵対の意思表明
~1573年04月 足利義昭(二条城)を包囲し和議
~1573年04月 武田信玄 死亡
~1573年07月 足利義昭を破り追放(室町幕府滅亡)
~1573年08月 浅井・朝倉を滅亡 信長大勝 朝倉義景自害
~1573年08月 小谷城攻略 浅井久政・長政自害
~1573年09月 伊勢長嶋一向一揆討伐のため出陣
~1574年01月 越前一向一揆討伐 羽柴秀吉出陣
~1574年02月 武田勝頼に美濃明智城落とされる
~1574年06月 武田勝頼に高天神城を攻略
~1574年09月 伊勢長嶋の一向一揆討伐
~1575年05月 長篠の戦 武田勝頼に勝利
~1575年08月 越前一向一揆討伐
~1575年09月 明智光秀 丹波へ出陣
~1575年10月 石山本願寺と和睦
~1575年11月 嫡男信忠に尾張・美濃を与え家督を譲る
~1575年11月 権代納言・右近衛大将に任官
~1576年01月 安土城築城開始
~1576年05月 石山本願寺討伐のため出陣 天王寺砦の戦い
~1576年07月 毛利水軍に木津川口で敗れる
~1577年02月 滝川一益・明智光秀ら紀伊雑賀・根来の一向一揆討伐のため出陣 
~1577年05月 双龍の天下布武印を使用
~1577年06月 楽市令
~1577年08月 柴田勝家 加賀出兵
~1577年09月 上杉謙信に加賀手取川で大敗
~1577年10月 織田信忠ら信貴山城を攻略 松永久秀自害(平蜘蛛の釜と我らの首・・
~1577年10月 羽柴秀吉を播磨に出陣
~1578年03月 上杉謙信病死
~1578年06月 九鬼嘉隆 鉄船建造雑賀の水軍を破る
~1578年10月 摂津有岡城主荒木村重が反逆
~1578年11月 九鬼嘉隆 鉄船で毛利軍を木津川河口で破る
~1578年11月 有岡城に出陣
~1579年05月 安土城天主完成 浄土宗と法華宗による安土宗論
~1579年05月 安土城天主に居住
~1579年08月 柴田勝家 加賀へ出陣
~1579年09月 徳川信康切腹
~1579年10月 明智光秀が丹波の反乱を鎮圧
~1579年12月 荒木村重の妻子らを処刑
~1580年01月 羽柴秀吉 播磨の三木城攻略
~1580年03月 石山本願寺と和睦
~1580年05月 秀吉播磨の反乱を鎮圧
~1580年08月 石山本願寺焼失
~1580年08月 佐久間信盛父子・林秀貞・安藤守就父子・丹羽氏勝を追放
~1581年02月 信長 京都馬揃え
~1581年06月 羽柴秀吉 因幡へ出陣
~1581年07月 安土城天主閣・総見寺などライトアップ
~1581年09月 織田信雄 伊賀平定
~1581年10月 前田利家に能登を与える
~1581年10月 羽柴秀吉 鳥取城を落とす
~1581年11月 羽柴秀吉 淡路島を平定
~1582年02月 木曽義昌が武田勝頼に背く
~1582年03月 織田信忠 信濃高遠城を落とす
~1582年03月 武田勝頼 新府城を脱し山中に潜む 
~1582年03月 武田勝頼 滝川一益に攻められ切腹 滅亡
~1582年03月 滝川一益に上野国信濃を与える
~1582年05月 織田信孝に阿波国を与える
~1582年05月 羽柴秀吉 高松城を水攻め 毛利軍が出陣 中国を平定
~1582年05月 明智光秀 中国出陣
~1582年05月 織田信長上洛
~1582年06月 明智光秀謀反 本能寺の変 

調査員 M・Y.投稿
2020年10月10日