宇治川/一級河川
水系名:淀川水系
河川名:宇治川
幹川流路延長:75.1㎞(淀川全体)
日本最大の湖「琵琶湖」を源とする淀川は その上流部では瀬田川 中流部では宇治川と呼ばれ京都府・大阪府境界付近で桂川・木津川と合流したあと淀川となり大阪湾に注ぐ一級河川です 宇治川は淀川の通称であり天ヶ瀬ダム上流部から桂川・木津川合流部付近までを宇治川といいます
天ヶ瀬ダム
洪水調節 発電 上水道用水の三つの目的をもった多目的ダムで西日本屈指の大河川淀川本流に建設された唯一のドーム型アーチ式コンクリートダムで昭和39年(1964)に完成 高さ73m 長さ254mという堂々とした偉容を誇っています
ダムの上からは「鳳凰湖」と名付けられたダム湖を見渡すことができ 下流からダムを望むと鳥が翼を広げて飛び立とうとする姿ににていること地上に楽園を築こうという人々の願いをこめて名付けられたとのことです
「鳳凰湖」水面は季節の風景を映しだしている
宇治公園
塔の島と橘島の二つの島を合わせて中の島と称します 塔の島に建つ高さ約15mの美しい十三重石塔(重要文化財指定)は 鎌倉時代後期に奈良・西大寺の僧叡尊が魚の霊を供養するために造立したもの宝暦6年(1756)の洪水で川に埋もれていた塔を明治時代末に発見し再建しました
堤防沿いは桜の名所として知られ4月上旬には浮島で宇治川桜まつりが開かれています
平等院
永承7年(1052)時の関白藤原頼通が 父道長より譲り受けた別業を仏寺に改め平等院を開創しました この年は末法初年に当たるとされ 末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ極楽往生を願う浄土信仰が社会が各層に広く流行していました その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し 堂内には平安時代の最高の仏師定朝によって制作っされた丈六の阿弥陀如来坐像が安置され 華やかさを極めたと言われています
鳳凰堂
平安時代後期 天喜元年(1053)に時の関白藤原頼通によって建立された阿弥陀堂です 華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできる唯一の遺構として貴重な御堂です 最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のようにその美しい姿を水面に映しています 鳳凰堂を正面から見た姿が翼を広げた鳥のように見えることと屋根上に一対の鳳凰が据えられていることから 江戸時代始め頃より「鳳凰堂」と呼ばれるようになりました 鳳凰堂は東方に面して建てられ 阿字池を隔てて西方に極楽浄土があることを示しています
平成16年(2004)より発行されている一万円札にはこの鳳凰(南像)が描かれています (平等院HPより)
宇治橋
大化2年(646)に奈良元興寺の僧道登によって最初に架けられたと伝えられ「瀬田唐橋」「山崎橋」とともに日本三古橋のひとつに数えられています 現在の橋は平成8年(1996)3月に完成したもので檜製の高欄に青銅製の擬宝珠を冠し宇治橋が持つ歴史的イメージを残し周辺の景観にも調和したデザインになっています 上流側に張り出した「三の間」は守護神「橋姫」を祀った名残とか 豊臣秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたところともいわれ 宇治の茶まつり「名水汲み上げの儀」が行われます (京都府観光ガイド等参照)
活動報告
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