大津放水路・琵琶湖疏水

大津放水路
2017.6.27国土交通省は大津放水路を1級河川に指定
↑瀬田川流入 京阪電鉄石山寺駅南 月見橋
↑三田川分水施設(大津市国分1)
↑狐川分水施設(大津市北大路3)
↑盛越川分水施設(大津市若葉台2)
事業の目的・概要:市街地における慢性的な浸水被害の軽減を図る河川改修事業で平成4年から国直轄事業として実施 大津市南部を流れる8河川(三田川 狐川 盛越川 兵田川 篠津川 相模川 堂の川 諸子川)の洪水を中流部でカットし瀬田川へ流下させる地下トンネル放水路 平成17年Ⅰ期区間約2.4㎞(三田川 狐川 盛越川)が完成通水 
流入場所:瀬田川 月見橋 石山寺駅南
琵琶湖疏水
↑琵琶湖第1疏水取水口(三保ヶ崎)
↑琵琶湖第2疏水取水口 扁額「文字:萬物資始(ばんぶつとりてはじむ) 揮毫者:久邇宮邦彦 意味:すべてのことがこれによって始まる」
↑第1疏水第1トンネル東口の扁額「文字:氣象萬千(きしょうばんせん) 揮毫者:伊藤博文 意味:様々に変化する風光はすばらしい」とあり また扁額の上部には(主任技師の田邉朔郎工学博士によって1885年8月~1890年4月の工事で完成したものである)と刻まれています↓
↑鹿関橋から(大津市大門通4)
↑第1疏水第1トンネル西口「文字:廓其有容(かくとしてそれいるることあり) 揮毫者:山縣有朋 意味:疏水をたたえる大地は奥深くひろびろとしている」 藤尾奥町 琵琶湖疏水「藤尾橋」(大津市藤尾奥町15)↑
↑第1疏水四ノ宮舟溜(京都市山科区四ノ宮柳山町)
↑蹴上げのインクライン(傾斜鉄道)は蹴上舟溜や南禅寺舟溜に到着した船から乗り降りすることなくこの坂を船ごと台車に載せて昇降させる目的で建設された この舟運により琵琶湖と淀川が疏水を通じて結ばれ北陸や近江や大阪からの人々や物資往来で賑わった 琵琶湖疏水・インクラインは文明開化以降における画期的な京都再生の役割をはたした 今日の京都を築いた遺産であると記されている
蹴上げのインクライン・南禅寺水路閣は国の史跡に指定

琵琶湖疏水は大津市三保が関で取水し三井寺の山下を通り京都市蹴上へと流れる人工の水路で延長約9キロメートル 京都市の飲料水・発電・物資輸送・農業用水など多目的利用のために立案されました 第1疏水は明治18年青年技師田邉朔郎の指導のもとに着工同23年に開通 第2疏水は明治45年に完成 工事が国家的レベルの事業であったことを示すように隧道の各洞門には伊藤博文を始めとする著名人が揮毫した扁額が掲げられています(大津まちなか元気回復委員会/琵琶湖第1疏水鹿関橋に掲示)参照
扁額などは上記の他に
○第1疏水トンネル内壁に「文字:寶祚無窮(ほうそむきゅう) 揮毫者:北垣国道 意味:皇位は永遠である」
○第1疏水第2トンネル東口に「文字:仁似山悦智為水歓歡(じんはやまをもってよろこびちはみずのためによろこぶ) 揮毫者:井上馨 意味:仁者は動かない山によろこび智者は流れゆく水によろこぶ」
○第1疏水第2トンネル西口「文字:隨山到水源(やまにしたがいてすいげんにいたる) 揮毫者:西郷従道 意味:山に沿っていくと水源にたどり着く」
○第1疏水第3トンネル東口「文字:過雨看松色(かうしょうしょくをみる) 揮毫者:松方正義 意味:時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる」
○第1疏水第3トンネル西口「文字:美哉山河(うるわしきかなさんが) 揮毫者:三条実美 意味:なんと美しい山河であろう」
○疏水合流トンネル口「文字:藉水利資人工(すいりをかりてじんこうをたすく) 揮毫者:田邉朔郎 意味:自然の水の力を人間の仕事に役立てる」
などがある
第2疏水が完成したことにより蹴上より下流の疏水は拡幅され蹴上発電所が増設 夷川・墨染に発電所が新設された 明治中期における日本の土木技術水準の到達点を示す土木史上画期的な事業で舟運・発電・水道等に広く利用され京都の近代都市としての発展をもたらした
偉大な事業であった 建造物一つ一つに心が通っている事に気づかされる 今後も歴史的遺産として称賛されるような公共工事を願いたいものですね
(蹴上発電所・夷川発電所・墨染発電所を有す)
2017年07月29日